プロフィール
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日本ガラス工芸協会会員 |
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JGAS会員 |
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GAS会員(米国) |
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ガラス工藝 花井山房 代表(作家) |
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1989年
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個展(ギャラリー岡崎 ラ・ポーラ) |
名古屋デザイン博出展(オブジェ「シリーズ春」) | |
1990年
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'90東海ガラスアート展出展 入賞 |
個展(ギャラリー名古屋ラ・ポーラ)等 その他3回 | |
旭ガラスアート展出展(東京) | |
1992年
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'92愛知県文化協会美術展出展 入選 |
個展(ギャラリー名古屋ラ・ポーラ)等 その他 常滑、静岡 3回 | |
1993年
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'93日本のガラス展出展(東京・大阪・福岡) |
国際ガラス工芸展'93出展(東京) | |
ガラス工房設立(岡崎) | |
シアトル・ポーランドのガラス工房と交流の為、渡米 | |
1994年
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国際ガラス工芸展'94出展(東京) |
日本ガラス工芸協会展「のむ器展」東京伊勢丹 | |
1995年
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日本ガラス工芸協会展「壁を彩どる」東京伊勢丹 |
1996年
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個展(ギャラリー方円館 常滑) |
1997年
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個展(ギャラリー方円館 ギャラリートータク) |
1998年
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個展(ギャラリー坂角 名古屋 GAS主催展) |
1999年
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南設楽郡作手村に「グラススタディオ フォーラム」移設 |
'99日本のガラス展出展(東京小田急) | |
2000年
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個展(ギャラリー方円館 常滑) |
岡崎市美術館個展 | |
個展(万が屋 岡崎市) | |
2001年
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工房名称変更「ガラス工藝 花井山房」 |
個展(万が屋 岡崎市) | |
俳人協会会員 | |
六知庵句会世話役 | |
豊橋中日文化センター講師 | |
師系
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山口青邨(夏草主宰) 古舘曹人(夏草代表) |
所属結社
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天為同人(主宰 有馬朗人 元文部大臣) |
屋根同人(主宰 斎藤夏風) | |
夏草同人(終刊) | |
経歴
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夏草新人賞受賞('91) |
六知庵句会メンバー(古舘曹人氏と7人の精鋭) | |
新人賞特集 | 作品 |
髢草船の時刻をたしかめて | |
暗がりの椅子を寄せたる春炉かな | |
格子戸の舛屋井桁屋種俵 | |
縁側に傘立てかけし雉子かな | |
芹摘んで鳴海有松絞り町 | |
揚雲雀足助に木地師弓師かな | |
経蔵の前から掃かれ天道虫 | |
瑠璃鶲追の狭間といふところ |
とこしなへ
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花 井 柊 詩
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昭和五年に「夏草」が発刊されて以来六十年、半世紀以上も継続している「夏草」があと数ヶ月で終刊をむかえようと しています。一代で半世紀以上、発行継続している俳誌はそれほど沢山無いかと思います。 これも青邨先生の偉大さが成せる業であり、たとえ終刊をしても「夏草人」の心の中には永遠に青邨先生の教えが魂とな って受け継がれて行くものと信じています。更には大きな河となり流れて行く事と思います。 |
青邨先生の句集「雪国」の中に たんぽぽや長江濁るとこしなへ 青邨 この句は「夏草人」や私を導いて下さるような、また心の拠り所のような気がします。 |
「チャンスは運命の仮の姿である。」と何かで読んだ事があります。私と「夏草」との出合いや古舘曹人先生との出合いは正に運命と言うチャンスが有ったからだと思います。 |
曹人先生との出合いにより、今までの私の俳句観を根底から覆えし、基礎から学び直す事から始まりました。繰り返 し、繰り返し教えて戴き俳句の素晴しさを知り、それ以来俳句の眼が開いたと言っても過言ではありません。 |
また、徹底した「客観写生」「飛躍」更には「省略」をと、丁寧に教えて戴くことが出きました。着ぶくれていた俳句 が少しづつ整い、今まで隠れていた体の線が現われ、それからの俳句は感動の連続でありました。 |
悟りを開いた如来は、一切飾りを捨て法衣のみの姿になります。曹人先生から学んだ俳句観は正に如来の姿と同じもの のような気がします。 |
最後になりましたが、此の度の夏草新人賞、誠に有難うございます。「夏草」最後の新人賞と言うことで複雑な気持ち です。これを機会に、更に努力したいと思います。 |