チョヌアネの生活
チョヌアネに移ってからの彼は、住む家1軒建てるのも容易ではありませんでした。
チョヌアネの土民の酋長セチェレは、リヴィングストンの説教を熱心にきき、聖書も読みましたが、その部下どもは説教をききたがらず、酋長セチェレもこれにはこまって、部下に命じて村中の者を、サイの皮でつくった鞭でたたいてでも、説教に集まらせようとしましたが、リヴィングストンはたとえ部下といえども、強制してはならない、説教とは説き教えることで、しずかに納得させねばならないと教えました。
セチェレは3年間キリストの教えをきいてから、洗礼を受けることになりました。それまで土着民の習慣で、幾人もの妻を持っていましたが、それが悪いと知ると非常に悩みました。というのは、1度妻とした者を返すのは、その親に対して侮辱であったからです。
リヴィングストンもかわいそうな女たちのことを思うと、一夫一婦主義をしいることはしませんでしたが、クリスチャンとしてなさねばならぬことを実行しなさいといいますと、セチェレは1人の妻を残して、別離してしまいました。
セチェレのいるチョヌアネという所は、水不足の地方で、ひでりの時は作物も枯れきってしまうので、全村が65キロ余り離れたコロベング川の岸に移住しました。
しかしここもまたひでりが2、3年も続いて、川には1滴の水もなくなり、大きな鰐の死骸がコチコチになって横たわる始末でした。 |