1873年チタンボで倒れるまで
探検をつづく
16年振りでいったん英本国に帰ったリヴィンクストンは、大いに歓迎を受けましたが、さらに第2回のアフリカ伝道旅行のため、1858年から63年まで、探検と奴隷狩という悲惨と圧制を絶滅させるために、奥地に入りました。
なおその後の8ヶ年はナイル川やコンゴー川、ザンベシ川の水源をさぐり、タンガニカ糊の西の地帯に踏み入り、困難な旅をつづけているうちに、またマラリアにおかされて衰弱がひどく、遂に1873年5月1日バングウェオロという湖水に近いチタンボの部落で、永眠しました。
ちょうど60歳の時でした。リヴィングストンを救援すべく有名な探検家スタンレーが彼にめぐりあったのは、死ぬ2年まえでした。
今日、暗黒大陸と呼ばれたアフリカにも 地図ができ、鉄道も自動車道路もそして航空路も開けました。
奴隷売買も絶威したとはいえ、全人口2億のうち約1200万をしめる南阿連邦は、リヴィングストンに一番縁の深い所ですが、ここの土着民の数は850万もおります。
それにもかかわらず、彼らが白人から居住、結婚、職業などに差別待遇を受けているのはどうしたことでしょう。生涯の大部分をアフリカに過ごし、土着民を愛し、彼等の味方であったリヴィングストンが、この様を見たらどうするでしょうか。

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