ニュージーランド女子遠征隊長だった
佐藤テルさん
ニュージーランド最高峰のクック山に登る予定だったが氷河の状態がよくなかったので断念。エグモント山などに登った後、国産車で各地を回るなどして両国の親善に尽くした。その折の記録は「女五人ニュージーランドを行く」という著書にまとめた。
「日本でニュージーランドを紹介した最初の日本語の本だと思いますよ。ためにはならないけど、とにかくおもしろいって評判だったの」
ところが、佐藤さんの手元にその本は一冊も残っていないばかりか、当時の写真も、思い出のピッケルも見当たらない。写真は、遠征で余った金で長野・戸隠に建てた遠征記念の小屋に飾ってあるが、ピッケルは人に貸してなくなってしまったそうだ。
佐藤さんは、アメリカに下着の勉強に行ったり、45年に夫を失ってからイギリスで過ごしたことから各国に友人が多い。
しかし、山で知り合ったニュージーランドの友達は格別らしい。ヒラリー卿やノーマン・ハーディーなど有名な登山家との交際は、いまも続いている。
大正13年、佐藤さんは得意な英語を見込まれて日本に進出したフォード社に雇われた。16歳の若さだったが、日本人としては2人目で、給料は当時の一流会社の課長の4、5倍だったそうだ。
戦後は通訳、駐留軍の司法政治の顧問、教科書の翻訳などをした。その後は下着デザイナーと、多彩な職歴をもつ。こうした経験を一冊の本に残しておこうと、佐藤さんはいま準備を急いでいる。
「いまのOLとは違うのよ。政治の裏も見てきたし、おもしろい話がいっぱい。山のことはたくさん書いてきましたが……。いま書かなければ間に合いませんもの」。この情熱が、いまの佐藤さんのエネルギーになっているようだ。
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ニュージーランド女子遠征隊
ニュージーランドの最高峰クック山(3764メートル)はヒマラヤ地方に次いで氷河が多く、高度な登山技術が必要な山。
日本の女性登山家5人(川井耿子、森宏子、五百沢協子、小倉董子、佐藤テル=隊長)は昭和36年1月から3ヵ月半、現地に滞在、日本初のニュージーランド遠征をした。あいにくクック山には登頂できなかったが、ウオルター山、エグモント山などの登頂に成功。
当時は登山が目的の女性の海外遠征は認められなかったため、日焼けした顔におしろいをたたいて日本舞踊を見せたり、琴の演奏をして親善にも尽くした。この成功で、ニュージーランドが一時ちょっとしたブームになった。