沼声 2004年秋 No.278号掲載 「有芸大食」の 真髄 小倉董子 |
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秋の号のテーマは「芸」と「食」。その文字を見て、世界中の食べ物は何でも食べてやろうと、執念を燃やしている私だが、なぜか「無芸大食」という言葉が気になり、筆が進まない。ともかく「無芸大食」についてのエピソードから始めよう。 早大山岳部入部後、いままでの常識がことごとく覆させられたことに端を発している。「無芸大食」もその一つだった。 「生卵一個でご飯茶碗十杯分を食べた」 「一枚五勺の切餅二十枚を汁だけ付けて、ぺラリと食べた」 「学生時代酒をやめたが、酒宴につき合い、三ツ矢サイダーを三ダース飲んだ」などなど、成長期に食糧難時代を生き延びてきたO先輩の大食漢ぶりが、いまなお山岳部の後輩に伝説として語り継がれている。 私もその先輩の食べっぷりに感嘆させられたが、ガツガツ食べるのではなく、悠然と品格さえ感じたものだ。「食」への感謝をこめた「有芸大食」を見る思いだった。 近ごろ大食漢を競うTV番組をみていると、ガツガツと量を競うだけで、不快感で目をそむけたくなる。文字通りの「無芸大食」いや「無能大食」をさらけ出しているだけだ。 やがて、山岳部で培った「どこでも眠れて、何でも食べる」という「有芸大食」が、アフリカ横断アドベンチャー・ドライブの夢の実現に役立つことになる。 何をかくそう話題のO先輩こそ、のちに私の生涯のパートナーとなった人である。 |
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