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山の先輩
小倉董子さんに思う
田部井淳子〔1939年生まれ。登山家。女性初のエベレスト登頂者〕
当時、社会人山岳会に入って岩登りに夢中になっていた私は、この機を逃したら、もう外国の山、とくにヒマラヤなどという所へは行けないだろうと思っていたので、積極的にクラブに入って仲間を集めた。1970年にネパール・ヒマラヤが解禁されるから、女だけでアンナプルナV峰(7577m)へ登ろうという計画が具体化していた。
その頃のヒマラヤ遠征といえば、日本山岳会のような大きな組織のごく限られた人たちだけにしか行く機会はなかった。経験者の多くが日本山岳会の会員であったため、遠征について何でも知りたい、聞きたい、教えてもらいたいという強い興味から私は入会を思い立ち、会に紹介していただいた。
その日本山岳会の集まりで私は、はじめて小倉さんにお会いすることができたのである。
この人がまさに、あの新聞の見出しを飾ったキリマンジャロ登頂隊の小倉さんかと、私は失礼もかえりみず、しみじみと見つめてしまったものだ。
 ちょっと私より太めかな(失礼)とは思ったが、自分とあまり変わらない背丈、体つきに驚かされた。もっとゴツくて、いかつい、きつそうな人を想像していたからである。短い髪が若々しく、にこやかで気さくな、とてもあのキスリングを背負った写真と同じ人とは思えなかった。
 新人の私には、日本山岳会というのは歴史も権威もあるが、それだけに保守的であり、エレベーターに乗る順番から、座るときの席順まで序列のある、かたくるしいところだなというイメージがあった。
 当然のことながら、小倉さんもそういう人だと思い込んでいた。ところが実物は違っていたのである。うれしい思い違いであった。
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