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山の先輩
小倉董子さんに思う
田部井淳子〔1939年生まれ。登山家。女性初のエベレスト登頂者〕
たまたま私たちの計画したアンナプルナV峰登山隊は、いろいろな山岳会に所属する人びとの寄り集まりだったため、隊長を誰にするかとか、隊員の決定などでゴタついていた。そのことを心配した小倉さんが、当時アンナプルナV峰の隊長を務めた宮崎(現姓・久野)英子さんと副隊長の私を大久保の自宅に招いてくれたのである。
どうせ何か言われるのだろう、キツイ言葉で非難されるのかもしれない…と一方的に思い込んでいた私は、大いに緊張して小倉さんのお宅に伺った。粗相のないようにしなければ、と自分に言いきかせていた。
「どうぞ、こちらの方が台所に近いから仕事ができるので…」と、応接間ではなく居間の方に通していただいた。小倉さんは、私たちから事情を聞きながら、時どき台所に立った。
あら、家事をなさってるんだヮ。まぁー、ふつうの主婦じゃないか…。私の気持ちの緊張は、だんだんに緩んでいったのである。
「ただいまぁー」という元気な声がして、ご子息が小学校から帰ってきた。
「今日のおやつはシチューよ。ハイ、熱いうちにお上がり」と、白くてやや大きめのスープ皿に、大きく切ったジャガイモの入った(私もよく見ていたものである)ミルク色のシチューをよそって、テーブルに敷かれたランチョンマットの上に置いた。
いまの私なら「あーら、おいしそうですネ。小倉さん、私にも一口ください」などと平気で言っているところかもしれないが、その頃は、とても気やすく話せる人ではないと思っていた。
 だが、このシチューの日以来、私はすっかり小倉さんに対する見方が変わったのである。
 私たちと同じなんだ。家庭を持ち、お子様のめんどうを見、その上、親ごさんも見ていられ、さらに山登りも続けている、すばらしい女(ひと)なんだと、心から思えてくるようになった。
 その後、日本山岳会の集まりで、あるいは朝日カルチャーセンターで、時どき小倉さんにお会いするようになった。気さくで、オシャレで(小物のオシャレもとても上手)、家庭的。さらには、これから山を目指そうという人びととの指導に心を砕きつつも、なお自らの冒険も続いているのである。
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