早稲田の山と女性の登山

小倉董子

チャンスを生かす

 私の早稲田大学山岳部入部以来の半世紀の軌跡をたどってみると、女子部の確立と継続はできなかったが、私個人としては、多くのチャンスに恵まれ、人生の転機となった。

 

甲斐駒ケ岳

昭和29年夏 甲斐駒ケ岳を望む
早大山岳部 女子部合宿

 

 慶応義塾大学山岳部では、創部以来1998年まで女性の入部は許されていなかった。それは山岳部創立の際、イギリス山岳会THE ALPINE CLUBにならって創部したためという。当時は女性は入会できないルールがあったのだ。日本の先駆的登山家、槙有恒OBをいただく部の越えられない掟だったのか、それが伝統を守るということだったのか。だが、2年前ようやくにして女性部員の入部が、許されるようになった。

 

 一方、進取の精神、学(岳)の独立をモットーとする早稲田大学山岳部は、監督関根吉郎先生の独断だったとはいえ、いち早く、女子部員の導入に踏み切った。それは私にとって、千載一遇のチャンスだった。そしてそのことがきっかけで、1951年~64年、14年間ではあったが、早稲田大学山岳部の女子パーティーが存在できたことは確かだ。

 

鳳凰三山

鳳凰三山 昭和29年夏
早大山岳部 女子部合宿