海外トレッキング

とっておきの西ブータンの山旅

小倉 董子

 早大山岳部のころ、私はブータンを紹介する一冊の本に出会った。密教の流れを汲むチベット仏教を信じ、大自然と共に生きるブータンの人々の暮らしぶりが見たい。行ってこの目で確かめたい、と思った。だが、当時のブータンは鎖国状態で夢は果たせなかった。
 卒業後の2年目、早大赤道アフリカ横断遠征に参加するため、海外渡航審議会へ外貨割り当てを申請した際、「何で女が海外へ出る必要があるのか?」との言葉に、戦後12年も経っているのに男女平等は名ばかり、女性蔑視も甚だしいと怒りが込み上げ、このままでは、女性の海外進出は遅れてしまう。「命を賭けても惜しくない」と決断した。若さ故の勢いだったかもしれない。
 今では笑い話だが、アフリカの情報は何もなく、人喰い人種がいるとか、猛獣の住処などなど、取材にきたジャーナリストでさえ、「私の女房やガールフレンドでも大反対しますよ!?」などなど・・・。反対を押し切っての参加だった。
 私の人生の転機となり、重い扉を開くのは私の使命であり、責務であると、挑戦を続けているうちに、あっという間に58年もの長~い長い歳月が流れていた。

パロ・ゾン
寺院と行政機関、要塞が一体となっている
パロ・ゾン

 今回の西ブータンの旅が実現できたのは、ピコツアーの戸井川社長とブータンの現地旅行会社にコンタクトがあるという、耳よりな情報があってのことだった。しかも、会社代表の弟夫人が、日本人の雅子さんだった。いわば兄弟会社だったのだ。
 紫蘭会の高齢化は、標高の点で不安がよぎった。参加者は13名と決まり、ピコツアー企画の5回目での最多数となった。人数決定後の現地の反応は?といえば、パスポートの年齢を見て驚いたようだが、戸井川さんの紫蘭会の歴史と伝統、会員全員がリーダー経験をしているため、自立していること、自分の健康管理もでき、これまでの海外トレッキングでも問題がなかったことをアピール、綿密な情報交換で、無理のない楽しい企画が出来上がった。
 ちなみに参加者の平均年齢74歳、80歳代4名だった。

タンゴ寺院
タンゴ寺院

 私はブータンの今を知りたいと思った。ブータン政府が公募したところ、日本人の女性が名乗りを上げ、御手洗瑞子さんが公務員として採用された。1年間の体験をブログとして発信していたが、1冊の本として出版されていた。「ブータン これでいいのだ」まさに、これしかないというタイトルに、私はかつての一編集者として納得し、読み終えた。
 実際、瑞子さんは公務員として仕事をしようとしたが、1ヶ月経っても何も始まらなかったという。時間は守らない、3日後のことは覚えていない、ノートは持たないという事実。結局、瑞子さんは日本人の几帳面さや真面目さが災いし、時間に追われ、人のせいにするなど日本人の深層心理があって、日本人を不幸にしていることに気づき、聡明な瑞子さんは、いち早く察知したのだろう。「ブータン これでいいのだ」では、人々の暮らしぶりを観察しながら、ブータンを支えているのは、海外留学でグローバルな視点で見ることができる、少数のリーダーたちである、と結論付けていた。

ティンブー
ナムゲイ・テイジ・ホテルにて
(左奥 チェンチョ氏、前列右 表雅子さん)

 6月17日(月)羽田22:30集合。18日(火)羽田00:30発、機中泊でバンコクへ、航空機を乗り換えインドのダッカ経由でブータンへ、唯一の国際空港であるパロ空港へ向かった。(標高2300メートル)日本との時差3時間。山間の谷間を一直線に伸びる滑走路、両翼が山裾に触れそうでハラハラドキドキ。
 独特の木造伝統建築の空港ロビーの入口前に、2011年ご成婚された第5代国王と王妃の特大写真が出迎えてくれていた。観光立国を目指すブータン王国のシンボルとして、一役買っていた。
 入国審査もスムーズに進んだ。審査官も正式な男性の民族衣装ゴを身に付けていた。
 かって私は、ブータンが日本のルーツではないかと思ったが、キモノ風のゴに、ふるさとへ戻ってきたような安らぎを感じていた。
 空港ロビーを出ると、威風堂々とした粋なゴを着た男性とキラを着た雅子さんが、私たちを出迎えてくれた。

パロ空港
パロ空港

 その男性は、現地旅行会社の代表者チェンチョ氏だった。今回のガイドを勤めてくれると紹介された。
 彼は突然空を見上げ、流暢な日本語で「今日はブータンに仏教を広めた、えら~いお坊さんの誕生日なんです。虹が出ているでしょ!? 皆さんを歓迎しているのでしょう。最先よいということでしょうね」。チェンチョ氏が日本語を話せるとは知らなかった私は、驚いて「どこで日本語を習ったんですか?」と聞いた。「ネパールです。読み書きはまだ出来ませんが…」
 それにしてもすごい。雅子さんとの出会いがあって、日本語を学ぶようになったのだろうか。
 寺院巡りの説明も仏教徒らしく、私たちの心に沁みた。帰国後、虹を撮った写真を見て再度驚かされた。虹の上の雲間の青空が龍の姿に見えたのだ。「雷龍の国」として国旗にも描かれている。ブータンのシンボルに、最初に出会えていたのだ。

龍?
パロ空港での虹の上に龍が?

 雅子さんの配慮あってか、私たち女性14名分のキラが準備されていた。一人ひとり着付けをしてもらい、首都ティンプーの中央にある時計台前で勢揃いして写真を撮るというイベントを企画してくれていた。私たちは何の違和感もなく、街行く人に受け入れてもらえていた。老いてもイキイキと静(・)春(・)を謳歌するわがメンバーは、華やぎ輝いていた。(とてもお似合いでしたよ)。

時計台
ブータンの首都ティンプーでの
時計台前での「キラ」を着た14名と
プラス チェンチョ氏(左端)、
雅子さん(右端)

 その夜はもう一つのイベントが用意されていた。チェンチョ氏の肝っ玉母さんを中心に、同居している大家族三世代との出会いだった。
 そして、ブータンの民族歌舞鑑賞と夕食会を和気藹々と過ごすことができた。家族を大切にするブータンの人々の暮らしを垣間見ることができ、うれしかった。

昼食
大きな農家での昼食
ブータンでは母親を中心に大家族で暮らしている

 今回の食事について、ブータンの食事は激辛な料理と聞かされていたが、雅子さんのアイデアか、チェンチョ氏の心配りか、私たちの料理には辛味抜き、そして別皿に辛味が用意されていた。好みによって入れるという選択肢があったのだ。たしかにその辛味には野菜の旨味を引き出す魔法の力があった。日毎に私は辛味を増量しつつ、慣れ親しみ、病みつきになりそうだった。

 ブータンでのハイライトは、私たちにとってはトレッキングすること、日本に自生していない高山の植物に出会うこと。お目当てはもちろんブルーポピーだった。日毎に標高には順化したことで、3,800メートルのチェレラ峠まで車で行ったが、霧が立ちこめ、祈りの旗がはためいていた。108つの仏塔が白い塀に囲まれ、不思議な世界に迷い込んだ気分になっていた。仏塔に参拝し、登山口からは兎さんチームと亀さんチームに分かれ、ゆっくり歩み始めた。

トレッキング

 森林帯には寄生植物の白いランや小さなオレンジ色のシャクナゲを見た。標高200メートルほど登ったところで、急に明るい尾根が広がっていた。競って色とりどりの高山植物が咲いている。その中にブルーポピーを発見したときは、龍のように天にも昇る心地だった。亀さんチームに付き添ってくれたドライバー君は小躍りして、メンバーの各自をブルーポピーとのツーショットで撮ってくれた。「あっちにも、こっちにもあるよ」と、大はしゃぎだった。

ブルーポピー

 ブルーポピーがお目当てだったことを知ってか、その責任が果たせたことで、下山のときは歌を歌ったり踊ったり。ブータンの陽気な若者ぶりをあらわにしていた。

 6月といえば、ブータンでも梅雨期。ブルーポピーの咲く季節を選んで企画したが、イケメンチェンチョ氏に「天気予報はラジオやTVなどで報道されるの?」と聞いてみた。「梅雨期は毎日雨といっているよ」。聞いた私が愚かだった。
幸い、今回は行動中は雨にもあわずラッキーだったが、最終日だけは、夜半に大雨が降った。それまでの清らかな川の水が濁流となって赤茶色になっていた。
 土砂くずれなのか、道路拡張のための工事なのか、狭い道路はどろどろだった。わがドライバー君は難なく通過してくれた。
 多くの人々の協力あって、私たちは日々の食事をおいしくいただき、トレッキングを楽しみながらお目当てのブルーポピーにも会えた。寺院巡りもチェンチョ氏の熱弁で仏教徒としての礼法も学ぶことが出来た。

修道僧
タンゴ寺院 修道僧

 1964年、日本のJICAは日本人西岡京治氏を農業専門家の第1号としてブータンに派遣した。今ある野菜や果物、そして傾斜を利用した棚田は、後世に引き継がれていた。
 棚田を見下ろす丘の上には、西岡氏の遺徳を偲ぶ仏塔と祈りの旗がはためいていた。
 民間外交の力強さを知り、ブータンと日本とのゆるぎない友情が永遠であれと、私たちは祈りを捧げた。

棚田
ダジョー西岡の棚田

 西ブータンの山旅は、範囲は狭かったが、バラエティに富んだ企画だったと思う。
 帰国して1週間後、コーラスの練習日に会った際、「帰ってきてから昏々と眠りつづけてしまいました」と、メンバーの何人かから聞かされた。
 ブータンでは、よく食べ・よく笑い・しっかり歩いた山仲間たちだったが、往復の機中泊がちょっと無理だったかな、と反省しきり。
今後の海外トレッキングの参考にしたいと思っている。

農家で
農家を訪ねた時、ブータンのお年寄りと
なごやかに会話しているような写真
不思議ですね?!

 チヨちゃん先輩は、90歳まで海外トレッキングに最多参加、ハワイでお誕生日を祝いましたよ。
 「ちょっと冒険の山旅」がいつまでも続きますように!! 「紫蘭会 これでいいのだ」

大家族
チェンチョ氏の母親を中心に
大家族として迎え入れてもらい
食事と歌舞観賞を楽しむ