紫蘭会創立25周年記念マデイラ島トレッキング
大西洋上に浮かぶマデイラ島に
夢とロマンを求めて(2)
隊長 小倉董子
マデイラ島のハイライト、ルイボ山登頂

 マデイラ島2日目にして、今回のハイライト、マデイラ島最高峰ルイボ山登山が行なわれた。標高1818メートルのアリエイロ山まで、車で登る。鈴木千代ちゃんと坂内安子さんは、別行動とし、下山口で落ち合うことを約束、ドライバーのマヌエルさんに二人をお願いし、私たちは、登山を開始する。
 
 幸い雲一つない上天気だった。現地コンダクターの須田さんは、20回ほどルイボ山に来ているが、いつも雨か霧で、全貌を見たのは初めてというのだ。そんな経験から、私たちのルイボ山山行の天候をいちばん案じていたと、打ち明けてくれた。何とラッキーな私たちだろう。私は、天を仰いで、自然の寛大な采配に感謝した。
 
ルイボ山山頂で
 
 急峻な岩山が屹立する山並みは、日本では見ることの出来ない風景だ。もし、リッジ状のコースに柵がなく、コースが整備されていなかったら、登山経験豊かと自認する人でも入山は不可能だったろう。聞けば、15年ほど前に転落死した人があり、石畳のような道と急坂には階段が作られたというのだ。私は、南米のクスコにある、「空中に失われた都市」といわれるマチュピチュの、壮大な石の文化と重ね合わせて、敬意を表するしかなかった。
 
 
 慎重に慎重に歩くため、歩みの遅い私たちを登山ガイドのアルバノ・ロペスさんは、いらいらしただろうが、やさしく見守り、リードしてくれていた。頼もしい山男だった。
 
 コースの途中には、水路を兼ねた200メートルもの長さの手掘りのトンネルがある。雨具とヘッドランプを装着、炭坑夫よろしくトンネルの中に突入する。元気組は、アルバノさんと先行、慎重組は、須田さんを先頭に、ラストを太田さんにお願いし、暗闇の世界に突き進む。暗黒の世界は、不安を募らせるものだ。水路の脇の歩けるコースは、幅50〜60センチくらいだろうか。手掘りの壁は、部分的にオーバーハングあり、うっかりぶつかると、はじき飛ばされる危険があるし、足を踏みはずせば、水路にどぼ〜んだ。
 
 慣れるまでは、皆緊張のせいか、重苦しい沈黙がつづいていた。不安感をなくそうと、私が大声で歌い出した。「エイコーラ、エイコーラ、もうひとつエイコーラ・・・」 トンネル内にこもる声は、益々暗い感じになってしまう。須田さんもすぐ反応し、私と二人で、次々と思い出すままメドレー風に歌い、大合唱でくぐり抜ける。出口の小さな光が見え出すと、須田さんは必ず蛍の光を歌い出す。出口で待つ元気組の評価は、なぜか暗ら〜い歌が、地の底から聞こえてくるようだ、とあまり評判はよくなかった。
 
エリカの原生林
ルイボ山へ 山頂間近
 
 三箇所のトンネルを楽しみながらくぐり抜けると、エリカの原生林がつづき、やがて山小屋が見え出した。少々時間オーバーのため、余力のある人のみ山頂へ向かう。360度の展望が楽しめるが、来し方には、雲がかかりはじめ、頂だけが望めた。
 
 千代ちゃんと板内さんの待つパーキングヘ急ぐ。一日中快晴に恵まれ、幸せなルイボ山ゆったり登山だった。
 
旅の醍醐味は、人と自然との出会い

 今回、紫蘭会メンバー私を含めて13名は、チームワークよく、病人けが人もなく、山旅を楽しむことができた。さすが紫蘭会、伝統が引き継がれていることを、再確認できてうれしかった。
 
左から須田通訳ガイド ポルトガル在住22年
太田添乗員 小倉
 
 現地通訳兼コンダクターの須田芳夫さんとの出会いは、旅をこの上なく楽しく過ごさせていただく原動力になった。慶応の学生時代、各国を旅し、ポルトガルに魅せられ、在住22年という貴重なキャリアがある。歴史や自然に対して博学なだけでなく、ポルトガルの人たちの理解者であり、人を愛する心が、にじみ出て心地よかった。ジョークを交えた会話は、抜群だった。
 
 私一個人の感謝は、さびついた頭の回転を久々のジョークのやりとりで、活性化させていただいたことだ。
 そして、好奇心旺盛、行動力、繊細な心づかいが、共感を憶えた。次の計画へ繋げていけたらと願っている。また、原稿やイラスト兼資料を送ってくださり、報告書の充実にご協力いただいたこと、心よりお礼を申し上げたい。
 
 最後に、マデイラ島のドライバー、マヌエラ・サントスさん、見事なドライブテクニックと素朴でやさしいお人柄は、私たちの無事な島巡りには貴重な存在だった。
 そして、太田青年、ご苦労さまでした。