北アフリカ最高峰
4167メートル
まさかまさかの登頂を果たす
紫蘭会顧問
隊長
小倉董子

1994年9月26日、12時25分、私たち紫蘭会のメンバー8名は、北アフリカ最高峰4167メートル、トゥブカル山の頂を踏むことができた。高度障害の影響を受けることなく、先着のイタリア人登山者と共に、カンツォーネを歌い合い、登頂を喜ぶ余裕さえあった。 思ってもいなかった登頂だけに、感慨深いものがあった。

1978年、私はサハラ・東欧地球走破隊の一員として、初めてモロッコを訪れた。うらぶれたホテルの窓から、アトラスの雪山を見た時「いつかきっと登ってやるぞ!!」心に決めたものだ。あらから16年、あの時の思い出が、やっとかなえられたのだ。うれしかった。

参加者17名の平均年齢は62歳、最高年齢79歳、最年少者が53歳である。中高年どころか、高老年グループといってもいい。しかも、高所登山、積雪期登山未経験者である。たまたま、エベレスト・ビュウ・ホテルへのフライトで、3880メートルの高度を経験した者が、17名中10名いた、ということだけだろうか。

計画の段階では、3207メートルのネルトナー小屋へ全員到達できればよしとしよう、と考えていた。それが、8名ものメンバーが登頂したのである。私も驚いたが、本人たちは、もっと驚いたに違いない。

成功のキーポイントを挙げてみよう。
1、雪溶け時季を避け(徒渉がなかった)気象条件の最も安定した時季を選んだこと。しかも登頂日は、無風だったこと。前日登頂した人たちの話では、風が強く、寒さ厳しく、草木一つない岩とガレ場の山、二度と登りたくない、と嘆いていた。私たちは、またとない最高の条件に恵まれたわけだ。

2、登山ガイドのスリーマンとの話し合いで、午前5時出発の予定を7時にしてもらった。登頂は目的ではないことを納得させ、私たちのぺースづくりで、トライしたこと。10名の登頂グループのうち2名が、体調の不安を自覚し、コルに居残ってくれたこと。スリーマンは、昼食は頂上ですると主張したが、高度の影響を考慮し、コルへ下山して昼食をとるようにしたこと。

2名の居残り組みに、荷物をあずけ、身軽に山頂をめざすことができたこと。(私たちのペースでは、1時間半かかるといわれていたが、身軽になれたせいか、50分で山頂へ到達した)。スリーマンは、前日からの私たちの様子を見て、不安いっぱいだったようだが、登頂後は、私を信頼してくれたようだった。そして、心もとない足どりの人に手をさしのべ、人が変わったように陽気になっていた。

3、マラケシュで半日ゆっくり休養、登山準備ができたこと。登頂前日、標高差1500メートルを、じっくり7時間かけて歩いたことが、高度順化に役立ったようだ。また、体力のない私たちは、最初からラバに荷をあずけ、身軽るで歩けたこと。体力なく、また体調に不安を抱いた人が、ラバを利用できたこと。これは結果的にスピード・アップに役立った。このあたりが、紫蘭会メンバーの賢明さと讃えたい。

計画の段階で、酸素を準備できないだろうかと、問い合わせたが、不要のこと、不安はあったが、徒労に終わり、ほっとした。
通常、ネルトナー小屋から山頂まで、3〜4時間といわれているが、私たちのペースで、5時間。山頂からネルトナー小屋まで下り2〜3時間を3時間30分。牛歩のような歩みだったが、無事登頂を果たすことができた。寒さにふるえながら、小屋の前で、長い間待ってくれていた仲間たちと、成功を喜び合えたのは、夕暮れせまる午後5時だった。

ネルトナー小屋は、二日間超満員。食事は四交替位だったろうか、幸い私たちは、二段のかいこ棚に一室を確保してもらえたが、いわし缶詰状態。天空には半月と星たちがひしめき合い、赤茶けた岩山が、雪と見まごうばかりに白く輝いていた。何と不思議な体験だったろう。

27日満ち足りた気分で、ネルトナー小屋を後にした。青い青い空に、すじ雲が美しい。天候悪化の兆しのようだ。下山を急ぐ。上りにラバに助けられ小屋入りした面面も、一緒に歩き出す。「ラバにしがみつき風景を楽しむ余裕もなかったわ」というチヨちゃん。天を仰ぎ、わずかばかり岩山にへばりついた、とげのある草を喰む山羊たちに、目を細める。

だが、いつしか再びラバの上。 約5時間、ゆったりした気分で下山を楽しみ、出発地点のイリミール部落へ到着。三名のラバ組と合流する。少し遅い昼食。ミントティーとオムレツ、トマトサラダのおいしかったこと。登山は無事終った。

エネルギッシュなスークのにぎわい。「ビンボウ・マダム」たちの本領発揮の時だ。16年前と比べ、人々の暮らしは、変ったとは思えないが、旧市街を取りまくように、新市街が、どんどん広がっているようだった。マラケシュの街から、とうとうアトラスの山並みは見られなかった。

サハラの日の出、素足で歩いた砂丘の冷たさが、いまなお、足の裏に残る。 やはり、イスラム文化の国モロッコは、映画「外人部隊」や「カサブランカ」の世界なのだろうか。興味はつきない。不思議な国モロッコは、観光立国をめざしているのだろうか…。