ネパール三大ハイライト
ちょっぴりアドベンチャー
紫蘭会顧問
隊長
小倉董子

 「夢じゃあないわよねぇ?!」自分の頬っぺをつねりながら、夢見がちの日々を過ごしていた、少女のようなマッちゃん(実年齢67歳とは誰しも信じられなかった。純真無垢?!)。「若い男性におんぶしてもらえたし(実はネパールの人たちは小がら、しかもぜい肉なし、骨と骨がぶつかり合い、痛さに耐えていたのだが…)、お篭に乗っての豪勢な山旅。

 それに象ちゃん(チトアンで)、お馬ちゃん(エベレスト・ビュウ・ホテルへの道で)にも乗れたし、私が最高に楽しませていただいたみたい…」。1ヶ月後に78歳を迎えようとしているチヨちゃん。そういえば、チヨちゃんこそ海外トレッキング最多参加者なのである。

 小学生の愛息子を親戚に預け、亡き夫の遺影を胸に参加した、最年少でもある(38歳)きゃうこちゃんは、「山好きの主人が、あこがれていたヒマラヤでした。主人に見せてあげたい。そんな思いで参加したのですが、私がますますのめり込んでしまいそう!!」涙、涙のエベレストとの対面…。

 子育ての大役を果たして、ようやく海外トレッキングに参加した久美ちゃんの、最後までおとろえない食欲と元気のよさ…。メンバー17名の平均年齢は、59.8歳。紫蘭会の平均年齢よりは少々高いが、いずれおとらず楽しい、頼もしい仲間たちである。

 16日間では長すぎる。休暇がとれない。とお叱りを受けるだろうが、ネパールの三大ハイライト、トレッキングとチトアン国立公園のサファリ体験。世界最高峰エベレストのパノラマ展望。この大きな夢を実現させるためには最低必要な日数だった。

 いや、もう二、三日余裕があったら、裏方の古山さんと私、サブリーダーの川井さんは、悩まずに済んだかもしれない。何しろエベレスト・ビュウ・ホテルへのフライトは、天気しだいなのだから…。まさに発展途上国の旅は何が起こるかわからない。「予定は未定の世界」なのだ。

 思えば1980年、紫蘭会創立5周年を記念して、第一回の海外トレッキングが、ネパールだった。 目標として、ネパールの歴史と文化を知る。トレッキングは高山病の不安のない高さ、3,000メートルを限度に、ヒマラヤのジャイアンツを眺めながら歩く。そして高山だけがネパールではないということを知ってもらうために、チトアン国立公園タイガー・トップスの二日間も組み入れた。

 五百沢智也さん(地理学者・私と同郷の山仲間)の協力あってのことだった。ところがなるべく費用を安くという配慮が裏目に出た。三流ホテル(カトマンズ)では、ダニ、ネズミ、不潔、プラスお湯が出ないなど。「ふつう」の人には、安まる場所ではなかったことだ。
 テント生活は、6泊7日。トレッキングも現在のように盛んでなかった。しかも初めてのコースだった。慣れないテント生活と食事。一日歩程20キロ。予想外の暑さ。条件が厳しかったため、食欲はなくなる。下痢に悩まされるなど、4キロ体重が減ったと、喜ぶ人もあったが、私と川井さんの体験からは想像できないことやトラブルが多かった。

 今回再び参加した頼子さんは、「あの時と比べ、これでもずいぶん楽になりましたねぇ」と、みんなに話していたが、紫蘭会トレッキング計画の限度をどの程度にするか。結果的に、トレッキングは4泊5日。ホテルは快適さを重視。経済的な負担は、安全と安心のために投資と考えることにした。交通の便のよさは、できるだけ利用する。ETC…。
 ともかく、日本に比べ、費用が安いこと。(円高の影響もある)人手が得られること。これは中高年グループにとって何よりありがたいことだ。

 13年の歳月は、ネパール国の諸事情をも変えていた。交通の便がよくなる、ということは、文明が急速に入り込んでいるということだが…。カトマンズの車ラッシュ。若者のオートバイ熱。息苦しいほどの排気ガスに、4年前には、カトマンズから望まれたヒマラヤの峰々は、見ることができなかった。

 年間を通じて、いちばん天候の安定した時期を選んだのだが、天候不順は、地球的規模であることを実感させられたのだった。ポカラもチトワンも然り「雨期が戻ったみたいだ」と嘆く。

 バンコック経由、カトマンズ入りしたのだが、出発間近になって、フライト時刻改正。カトマンズ到着が、夜となってしまった。しかも遅れと通関手続きのビスタリーぶりに、ホテル・ヒマラヤへ着いたのは夜半。荷物の区分けに追われ、寝不足のまま、翌朝早く空港へ。
 そして、ポカラへ飛びトレッキング開始という、ハードなスケジュールを余儀なくされた。このつけは、トレッキングの中の体調調整に、苦労させられる破目になり、あとあとまで尾をひくことになってしまった。

 難産(便秘)と流産(下痢)、時と人を変え悩まされた。だがそれぞれが、知恵を出し合い助け合い、何とか切り抜けてくれた。「人の和とユーモア」まさに紫蘭会ならではの底力に支えられたといってよいだろう。

 ともあれ毎日毎日が楽しく幸せいっぱいの山旅、そしてちょっぴり探検気分を味わった。 欲張ったネパール三大ハイライトの旅は無事終った。
 古山さんの気配りのよさ、そして息子のような若い彼に、頼もしさを感じ、お母さんたちは、幸せいっぱいだった。 のり巻焼餅は、大ヒットだった。ありがとう!! 体調をくずした人へのヒマラヤ観光宮原社長(山仲間)の「おかゆ」手配。そして、 タイミングよく出てきた「おすし」のプレゼント。人の絆のありがたさをしみじみ感じた。「ナマステ!!」