予期せぬ出来事
悪夢の4時間
紫蘭会顧問
隊長
小倉董子

 1989年ピレネー・トレッキング(スペイン)に次いで、今回は二度目のフランス側からのピレネーの山旅であった。日本人の足跡が少ないピレネーは、未知なるが故に魅力があるといってよいだろう。しかも中世の巡礼の道をたどる楽しみも期待された。

 参加者は、紫蘭会会員11名、小倉、川井顧問、おなじみの朝日サンツアーズの奥氏、計14名であった。残念ながら募集定員の半数以下となってしまった。ピレネー・トレッキングと聞いて、前回と同じところでは意味がない、と思った人もいたのかもしれないが、国民性、気候、風土、高山植物の違いなどを比較して、ピレネーを知るチャンスと考えたのだが…。

 

 年1回の海外トレッキングを心待ちしている人の中に、家庭の事情や健康上の理由などで、涙を飲んだ人もいたようだ。紫蘭会18年の歴史を振り返ってみると、会員自身はもちろん、家族も高齢化している、という現実もあるかもしれない。

 

 ACC最後のトレッキングということもあり、中止するのはいかにも残念なので、参加する方には、物心両面でご迷惑をかけてしまった。おわびしたい。ともあれ実現できたことはまことにうれしく、ご協力に感謝している。

 

 人数が少ないだけ家族的な山旅が楽しめる、こんな思いを抱きながら7月16日すべてのしがらみを断ち切り、勇躍成田空港を飛び立った。 ”太陽がいっぱい”のマルセイユから旅は始まった。

 

 7時間の時差は1晩で克服、休養日のはずの1日を貪欲に地中海めぐりに費やした。
 3日目、いよいよ山麓へ向かった。高速道路に入ると、ヴァカンスに向かう車の波にふと日本の渋滞風景を思い出していた。奥氏の名調子がマイクを通して時々流れてくる。カルカッソンヌという町で昼食、カルカの古城を見学するとスケジュールが発表された。

 

 その頃、私のいるうしろの座席では、冷房の吹き出し口から、水がしたたり落ち大さわぎしていた。突然奥氏の声がおかしい。ろれつが回らない。「また冗談言って…」。座席の大移動に追われながら、気になっていたのだが…。駐車場に間もなく着いた。
 「食事の予約がしてありますから、エリック(ドライバー)の案内でいってください。ぼくはちょっと具合が悪いので、バスの中で待っています…」

 前の座席でも冷房の吹き出し口から、水がしたたり落ちていたようだ。突然奥氏の頭上に、冷水かシャワーのように降りかかったというのだ。その瞬間、目の奥に突き刺さるような痛みが走ったという。ろれつが回らないだけではなかった。手もしびれているらしい。

 

 その時点ですぐ対処すべきだったのだが…。彼の苦しい立場もわかった。予約したレストランとの信頼関係、そしてお客(私たち)への気づかい、申し訳ないという気持ちでいっぱいだったのだろう。懇願するように「レストランへ行って下さい」という。

 

 私の心は乱れ、どちらを選ぶべきか迷った。わがメンバーなら「人の命の尊さ」をわかってくれるはず、と信じたいのだが…。奥氏とは仕事上の付き合いだけではない、仲間という意識もあるはず、と信じたいのだが…。
 だがすでに経済的な負担をかけている。立場の違う奥氏に対して、初めて参加した人にはわかってもらえるだろうか…。私の頭の中をいろいろの思いがかけめぐった。

 結果的に、奥氏1人をバスに置いて、エリックの案内で、レストランへと急いだ。
 食事どころでない心境だった。ヨーロッパの食事の長いことがわかっているだけに焦った。結局1時間ちょっとで戻ったが…。

 

 奥氏は相変わらず「ホテルへ行ってから医者を呼べばいいですから…」と私たちに気をつかっている。発病から1時間半たっていた。私の決断するときだった。川井さんの語学力とエリックの携帯電話のおかげで、カルカッソンヌの総合病院に引さ渡す手筈が整った。

 

 だが、病院に到着したとき発病から2時間たっていた。この2時間が果たして良かったのか、悪かったのか、私は神に祈るしかなかった。その時、彼は自力で歩くこともできなくなっていた。

 

 病院に入って、応急処置の点滴を受けると、わずかだか快方へ向かうきざしがみえてきた。ほっとした。そして、彼と打ち合わせができたのは、不幸中の幸いだった。必要な書類を受け取り、計画続行の連絡もある程度できた。

 

 病院に入ってからの2時間、暑い昼下がり見知らぬ土地で不安な気持ちで待つメンバーの皆さんには大変申し訳なかったが、あのときの事情を理解しお許しいただきたい。
 とにかく4時間にわたる予期せぬ出来事は、山旅をする上で貴重な体験だったと思う。生身の人間である限り私自身にも起こり得ることなのだから…。

 

 頭のスイッチを切り換え、計画を続行し楽しい山旅をすること、そして全員無事に日本の土を踏むこと、あらたな気持ちで、トレッキングをスタートしたのだった。

 私たちが山旅を続けている間、知らせを受けた奥夫人とお嬢さんが日本からカルカッソンヌに飛んだ。現地の保険医に付き添われ奥氏は帰国された。慶応病院に入院。2週間で退院。現在は自宅療養、通院中。病名は「脳幹梗塞」であった。私の苦慮した魔の2時間が、致命傷にならなかったことだけが、救いだった。メンバーの協力あってのことと、お礼を申し上げたい。

 

 なおエリックの献身的な奉仕に感謝すると共に、朝日サンツアーズの迅速な対応があったればこそ、その後の山旅が、とどこおることなく進行したことをご報告しておきたい。


フランスーピレネートレッキング 旅の記録
1992.7.16〜7.31

7/16(木)
曇り
12:50 成田発 エールフランス275便(100円→3.77F)
18:00 快晴パリ・シャルル・ドゴール空港着
     (時差約7時間)
22:10 満月 パリ発 IT-5489
     (切手4Fはがき封書共通)
23:15 マルセイユ空港着 (ドライバー エリック)   
      HOTEL CONCORDE PALM BEACH着
7/17(金)
快晴猛暑
9:33 市内観光 ノートルダム・ド・ラ・ガルド寺院
    (ガイド 野方) サン・ニコラの砦
    パレ・ロンシャン旧港 魚市場 展望台   
    レストラン・サマリタンにてブイヤベースの昼食(180F)
14:00 観光船にてイフ島へ(35F)
    ホテルのプールで泳ぎ 地中海に浸かった人あり
7/18(土)
快晴
移動日
9:00 出発 マルセイユ〜新港工業地帯〜
    ローヌ川を越え〜モンペリエで休憩
    車窓から向日葵畑を見る
11:30 出発 〜ナルポンヌ〜カルカッソンヌ着
13:20(奥氏発病)
    レストランにて昼食〜総合病院へ(奥氏入院)
17:30 カルカッソンヌ観光
18:30 出発〜民家の見える道を行く       
21:00 モリッツ・レ・バン着
7/19(日)
快晴
8:30 バスにて出発 山の中腹から歩く 山道に花多し
10:00 サン・マルチン・デ・カニグー修道院 着
11:00 ミサ        
13:00 昼食(各自用意)散策
    スペイン側に雲が湧き急ぎ下る      
15:15 バスにて下山        
16:00 ホテル着
    ピンチヒッターの野方さん参加
7/20(月)
快晴
移動日
9:00 出発  牧草を刈りロールにする作業を車窓で見る
13:30 ホウにて昼食 山の道を走る
     放牧場 スキー場 等
夕刻 サン・ラリー・スーラン着
    HOTEL ALTEA CRISTAL PARK
    霧か濃く山の上見えず
7/21(火)
朝は雨
山の上は快晴
9:00 出発
9:55 エリグース駐車場1,592m
10:55 ルール湖 1,819m 花の豊かさに歓声をあげ
    湖のほとりを散策
13:00 昼食の後 体力に応じてビック・ド・ヌービュを
    眺めなから登り始める
    一番奥は小さな湖アンフェリュール湖まで 2,150m
15:30 湖の反対側を通り下山
15:45 オレドン湖駐車場で待つエリックの為に
    川井、片岡が山越えを した
    頂上2,400mのあたりで霧にまかれ、下山口を
    見失い無駄 な時間を費やした
17:00 川井、片岡を除く一行は出発地に到着
18:30 オレドン湖駐車場で合流する  1,850m
    バスにて下山 ホテルへ
7/22(水)
雨 時々曇り
肌寒い
移動日
10:00 出発 霧の中、ピレネーの山並みを走った
    放牧の牛羊が群れ 水も豊かだ
    車道脇に野の花がいっぱいだった
16:00 ガパルニー着 本格的なフランス山岳会の
    山小屋に泊まる
    必要なものだけ持ち道端でトランクを整理した    
     REFUGE GRANGE DE HOLLE
17:15 下の町へ買い物など
    (両替50,000円→1,945F)
7/23(木)
快晴 酷暑
9:30 スペイン国境へ 2,270mスペイン側へ足跡を残す
10:30 ランチのパンを小星で受け取る
10:55 駐車場から出発 草原で昼食を取り登り始める
13:35 コルに着く 1,748m シルク・ド・ガパルニーに下る
14:40  シルク・ド・ガパルニー着 壮大な円形劇場
     滝を見る
17:30 駐車場に戻る
    帰り道、観光客を乗せた馬の列が続く 渓流で
    汗を流す人 山小屋のシャワーを浴びる人
    小屋の食事は田舎の家庭科理風でおいしい
7/24(金)
濃霧 曇り
時々小雨
移動日
9:00 出発
10:45 ルルド着
11:00 教会 聖水を汲む 世界中から巡礼の人々が
     集まっている
12:00 レストラン・エルミタージュにて昼食
15:30 出発
16:30 コトウレ着   HOTEL CLUBALADIS
7/25(土)
朝曇り 
間もなく快晴
この日バルセロナ・オリンピック開催
8:00 出発
9:00 駐車場から登る 1,495m
10:30 ゴーブ湖に着く  1,725
12:30 岩陰で昼食 のんびり組と登り組に別れる
    全員ピレネーの最高峰 3,298mのビニュマールと
    氷河を望む
13:00 5人ウレット小屋に向かう 絵描さんもいた
    途中牛の放牧あり 地図上の湖は消え湿地帯と
    なっていた
14:30 2,151mのウレット小屋に着く 山を超える人もいた
16:30 ゴーブ湖畔で合流しビール その他を飲む
    ノンガスの水はビ−ルより高い
    旅の間至るところで水を買う
17:10 駐車場に着く
7/26(日)
快晴
移動日
10:00 出発
11:30 ポー着 アンリWのシートーを観る。
    各々好みのレストランで昼食
15:00 出発 トウモロコシ畑の中をひた走る
16:30 カゾウボン着
HOTEL LA BASTIDE GASCONNE シャトーホテル
7/27(月)
快晴
予定を変更し大西洋に行くことになる
10:00 出発 トウモロコシ畑 松林 平坦な
    農村地帯を走る
12:40 アルカッション着 地中海から大西洋へ抜けた
    大西洋の渚を歩いた 海の料理を食べた  
15:00 出発  
17:30 ホテル着 鹿野氏ホテルに到着野方さんと交代
7/28(火)
晴れ
5:00 ホテル出発 星の消えぬ空
6:15 ボー空港着 野方さん エリックとお別れ
7:40 IT−5414にてパリへ
8:45 パリ・オルリー空港着 バスにて市内観光
    ノートルダム寺院 凱旋門 エトワール広場
    エッフル塔 オペラ座等
12:00 中国料理「新敦」にて昼食
13:30 ホテル着 自由行動
    HOTEL LE MERIDIEN MOTPARNASSE
19:00 夕食
    ホテル外でモンマルトルの丘 シャンソニエ
    オ・ラ・バン・アジール にてシャンソンを聞く
    一同歌に酔う
0:30 零時を過ぎ切符はいらぬという車掌の言葉で
    只の地下鉄に乗る
7/29(水)
快晴
9:30 地下鉄で市内観光に行く
    ホテルはモンバルナッス 駅の近く
    リュクサンプール公園〜カフェ・デ・クリューニイで休む
    サント・チャペル〜昼食をオペラ座の近くで取る〜
    ギャラリーラファイエットで買い物 解散
    自由行動
    クリューニイ美術館で60歳以上入場料が
    半額になるのを知った  31F→16F
    夕食はレストランで、ダイナミックな海老と蟹の料理
    と極上のワインで最後の宴
    ロンドンから駆けつけた堀田さんのお嬢さんも参加
7/30(木)
晴れ
10:00 オルセー美術館 駆け足で観る
11:30 集合  
16:10 ドゴール空港発 エールフランス276便にて帰国
7/31(金) 10:55 成田着 解散  全員健康