岩と砂と緑と
天山トレッキングの旅
紫蘭会顧問
訪中団団長
小倉董子
天山トレッキング計画のきっかけは、二年前にさかのぼる。1986年ACC紫蘭会雲南山麓トレッキングが行われた際、現地到着時点で、第一の目的であった点蒼山が、登山禁止になってしまった。その原因が日本人による昆虫採集ということだった。北京から同行してくださった周先生の説得をもってしても、許可はおりなかった。
周先生は大変責任を感じられ、「この次は、私のホーム・グラウンドである天山にいらしてください」と天山の素晴らしさをいろいろ話してくださった。 私たちは、先生にいわれるまでもなく、古い歴史を誇る悠々とした中国の自然と人々、そして遺跡に魅せられてしまっていた。周先生とお別れする頃には、もう次の計画、天山への夢をふくらませていた。

あれから二年、私たちは、周先生との約束通り、再び中国の大地を踏むことになったのである。 成田空港から北京まで四時間、そして、新疆ウイグル自治区の中心地ウルムチまで四時間弱、交通網の発達と平和であることのおかげで、わずかの時間で、私たちは、秘境の地へ降り立つていたのだった。

天山トレッキングの旅は、このオアシス都市ウルムチを基点にはじまったのである。ウルムチから国境の町カシュガルへ飛び、私たちの旅は順調だったが、カラクリ湖(3700メートル)への道、中巴公路(中国―パキスタン)には、思いもかけない事件が、私たちを待ち受けていた。 バスの事故、天山の雪解け水による土砂流による道路寸断、中国で自慢の道路も、文明の利器も、自然の猛威の前にはまことに頼りないものだった。

しかし、一方では、「自然の中では予定は未定、最悪の条件の中で、どう判断し、どう対処するか」という、実地訓練の場になったようだ、紫蘭会メンバーの、いざという時のチームワークのよさが発揮された場面が、しばしばあった。このような時こそ私たちと紫蘭会の絆を強く感じ、ひそかに、幸せをかみしめることができる。

バスの中での不安な一夜、パオで過ごした楽しかった二日間、高山病に悩まされた人もいたが、助け合い、励まし合い、実に充実した日々であった。

熱いトルファン(最も熱い七月の平均気温33℃以上、最高気温は、48℃)の熱さ体験も、乾燥しているせいか、湿気の多い日本の夏よりも楽のような気がした。もっとも道中は、冷房車だったせいもあるかもしれない。

アスターナ古墳見物での二千年前の夫婦のミイラとの対面は、実に感動的であった。ガラス越しの博物館で見るミイラとは違って、一体感を感じることができた。 中近東の香り濃い街並と、生きることにたくましさを感じる人々の活気、それは、雲南とは違ったものだった。

一生分食べたような気になった西瓜の味、話題のハミ瓜もぶどうも、あの乾燥した場所で食べるからこそ、おいしいのだろう。 天山の山々の恩恵を受けたオアシス都市の繁栄をみるにつけ、歴史を振り返ってみる楽しみが、より深くなったような気がする。「砂と岩の世界」シルクロードは、私たちに夢を与えてくれる不思議な魅力をもっている。
天山トレッキングの旅は、わすか十五日間とは思えない充実した旅であった。

カラクリ湖に白い姿を写したムスターグ・アタ峰(氷山の父、7,546メートル)、コングール峰(7,719メートル)のキルギスの帽子といわれる頂が、赤く染まる瞬間に出会えた時は、「やっぱり来てよかった」と誰しもが思ったに違いない。

キルギス族の部落を訪れた時は、渡渉を強いられたが、子供のようにはしゃぎながら、大いに楽しむことができた。もっとも不安と恐怖を感じた人もいただろうが…。ここでも暖かいもてなしを受け、どんなに心がなごんだことか。勇壮な叨羊(ティアオヤン)山羊狩ゲームは砂ぼこりに悩まされたが、太古の昔に、タイムスリップしたようなひとときだった。

通訳の祁さんの決死的な連絡のおかげで、茂源社の社長、副社長自ら、ウルムチからカラクリ湖まで2,300キロメートルを昼夜をわかたず走り続け、信頼できる日本の四輪駆動車でかけつけてくださった。その誠意には、感謝したい。とにもかくにも、アドベンチャーの領域も味わえたのだから、ラッキーな旅だったといえるだろう。

天池では、これまた予定は未定という場面も(宿泊予定の変更)あったが、明るい性格のガイド李さんとの福寿山登山は、実に愉快だった。「どの山が福寿山?」「あの山」「じゃあ、あのコースを登るのね」「そう」、ところが、登る山はぜんぜん方角違いだ。福寿山は2,700メートルと聞いていた。とにかく、2,670メートル地点まで登る。結局のところ「あのピークはパーパ、そして、あのピークはマーマ、そして息子、娘…」という、「私たちの登ったピークは、さしずめ娘ということね」「そう、そう」何のことはない、全部が福寿山というわけだったのである。

ここでも中国的発想に、私たちはシャッポを脱ぐしかなかった。天池の湖畔を散歩する観光客は、大勢いたが、ハイキングをする人は皆無だった。緑のあるところ急な山でも、牛や羊を飼うための生活の場でしかないのだろう。中国では、登山やハイキング、ましてやトレッキングなど、庶民には、存在しないのかもしれない。