霧雨の雲上テント暮らしと
雨と風のトムラウシ山登頂
紫蘭会顧問

小倉董子

 午後8時、私と五百沢さんは、狭い2人用テントにもぐり込み、ゴソゴソしながら、何とか寝袋におさまった。「ねぇ、ブーちゃん、雪の上に寝るのは、何10年ぶりかしら。この年になって、こんな山登りをするとは、思ってもみなかったわ」と、五百沢さん。

 「そうねぇ、ニュージーランド遠征前の冬の富士山合宿以来ね。あの時はテントを飛ばされたわね、あの時の寒さと心細さを思ったら、天国、天国!!」とはいったものの、外は霧雨、テントの中までじっとり。寝袋や衣類まで、湿っている。快適とはいえない状態だ。

 メンバーのほとんどが、テント生活初体験。 霧雨にけぶる雪原が、キャンプ地と決まった時、私ですらあ然とした。みんなの不安と戸惑いは、計り知れないものがあった。例年なら、このトムラウシ公園と呼ばれているキャンプ地は、見渡す限りの花畑だという。

 それが、異常気象のせいで、2メートルほどの雪が残っていたのだ。「日本にも氷河があるんですねぇ」という、Kさんの声に、笑って打ち消してはみたものの、このまま氷河期に突入したら…と、不吉な予感を憶え、私は身震いした。

 雪原に茫然とたたずんでいた私たちに向かって、「水場を探し、水を汲んできて下さい!!」と、石橋(ガイド)さんの一喝があった。覚悟を決めるしかなかった。いつの間にか、石橋さんの指揮で、三人の青年たち(ボッカ)が、私たちのテントの設営をしてくれていた。ありがたいことだった。

 だが、テントは霧雨に濡れてしまっていた。狭いテントの中をのぞき込んでいたUさんから、悲鳴にも似た「おうちへかえりた〜い!!」という叫び声が上がった。“ごもっとも、ごもっとも”みんなの気持ちを代弁しているようにも思えた。
幸い生死にかかわるほど、深刻の状態ではない。何とか楽しく過ごせるよう、気持ちを切り替えなくては…。

 「予定は未定」といつもいっているでしょ?!山では何が起こるか予測できないこともあるのだ。これが醍醐味といってもいい。実体験できるのは、「ラッキー!!」と、思ってほしいな。私は心の中で、そう願うしかなかった。

 今回の北海道トレッキング、トムラウシ山(2141.8メートル)登山は、新生紫蘭会がスタートした時点で、私が企画、計画を進めてきた。海外トレッキングだけでなく、国内トレッキングを企画してほしい、という声が前々からあったことと、新生紫蘭会の記念山行という意味を含めて、私としてのけじ目にしたい、という思いもあった。

 北海道の山を計画して見て、いつも断念せざるを得なかったのは、わが紫蘭会の体力と実力を考えると、交通の便の悪さや山小屋の設備がないため、テントを担ぎ上げなくてはならないことが、ネックとなっていた。
 また、内地の山と違い、人が入っていないだけ、道標やコースも整備されていない。だだっ広く奥の深い山では、霧に巻かれたら、道を失なう恐れもある。ヒグマに襲われる危険もある。
 安全を確保するためには、地元のプロガイドに協力をお願いするしかない。そう結論に達した。だが、適任者にめぐり合うのに、時間がかかった。紆余曲折の末、ようやく北海道トレッキング・サービスの石橋昭さんを知るに至った。

 何回か文通しているうちに、個性豊かな石橋さんの人柄もわかり、全面的に協力してほしい、とお願いした。ともかく、ボッカの確保が問題だった。石橋さんのおかげで、不安材料は、ひとつひとつ解決していった。

 ところが、15名参加希望者が、家庭の事情や健康問題で、最終的に、私と五百沢さんを含めて10名となってしまった。経費が大幅に狂い出し、私を悩ました。だが、メンバーの協力と了解を得て、実行に踏み切ることができた。準備完了!!いよいよ出発の日も近づいた。

 ところがである。出発の前日、午後10時すぎ、北海道西南沖地震、津波のニュースが、飛び込んできた。決断をせまられることになった。幸い、帯広は震度3、空港も大丈夫であることもわかった。
 結果的に、波乱万丈の山旅となったが、目的のトムラウシ山登頂も果せた。石橋さんの適切な判断と統率力は見事だった。それに若くて純情な三人の青年(ボッカ)たちのサポートのおかげで、無事に下山できた。

 何はともあれ、私たち中高年グループの体力では、テントや食料を背負っての登山は、ほとんど不可能なのだから。 それにしても、通常の山歩きで、体験したこともない荷物(寝袋、シート、炊事用具一式、昼食用食料三食分、個人装備)12、3キロを背負い、長い雪渓の上り下りや岩場を助け合い、励まし合い、よくがんばってくれた。しかも二日間は霧と雨の中での厳しい闘いだった。

 このたびの登山で、悪条件の中での判断の難しさを体験できたこと、信頼できるリーダーやプロガイドなしでは、山登りの範囲にも限度があることを、思い知らされたのではないだろうか。 それは、Aツアー会社のトムラウシ・ピストン登山の現状を目の当たりにしたことでわかっていただけたことと思う。

 ともかく、紫蘭会トレッキング史上、初の雪上テント生活ができたことは、貴重な体験であった。特筆にあたいする事件といっても過言ではない。
 山楽派(やまがっぱ−山を楽しむ一派の意味−)を自負する石橋さんの心やさしい配慮で、ヌプントムラウシ温泉へ、ピストン・ドライブをさせていただいたことも、忘れられない。
 全員が、大自然のふところに抱かれ、究極の露天風呂に入ることができた。

 そして、最後を飾ってくれたのが、霧と花に包まれての佐幌岳ハイキングだった。 北海道の山と人との出会いは、私たちに忘れかけていた自然の大きさと厳しさ、そしてやさしさと大らかさを思い出させてくれた山旅でもあった。